歌代美遙第一句集『月の梯子』(邑書林)、跋は島田牙城「《美遙俳句を読む》俳句が喜ぶ俳句たち」。その中に(本文は旧正字)、
髪結の道具を並べ冬ぬくし
髪染めの薬調合冬桜 (中略)
「冬ぬくし」「冬桜」どちらも、日々の充實実を担保してくれてゐるやうな明るい季語だ。
今、明るいと書いたが、美遙さんはいつも明るく屈託なく笑つてをられる。この屈託がないといふことは結構俳句作りには大切なことで、技を使うて仲間を驚かせてやらうとか、誰かの真似をしてでも選に入らうといふ小賢しい小手先とは無縁の人なのだ。
そして、「あとがき」の冒頭には、
今まで美容界に身を置き、自らの美容室運営はもちろん、美容業務の経営講師、ヘアショウへの讃歌、コンテストの審査など、人生存分にどっぷりと美容界に浸っていた私が、職業を退くと明日は何しようかなと悩んでいたところ、古くからの友人で「浮巣」主宰の大木さつきさんから俳句のご縁を頂きました。句集を作るなど夢にも思わず、ただ楽しいからというだけで句座に参加していました。(中略)
奈々と奈々をを呼び捨て蒸鮑
何か言つて帆立をア―ンしてあげる
などは、句が生れた現場に居合はせたので、あっけの取られたその時の情感を思ひ出すのだが、まさにその現場で思うたこと、見たことがそのまま書き留められてゐる。(中略)
美遙さんの俳句は、自らが納得する句と言ふより、俳句形式が喜んでゐるやうな、そんな作品として僕には映る。
「奈々奈々と」「何か言つて」といふ句をさへづつてゐると、さうした美遙さんの歓びや手応へが伝はつてくるんだ。
とあった。集名に因むは句は、
寒風に月の梯子の架かりをり
であろう。ともあれ、集中より、愚生好みに偏するが、いくつかの句をあげておこう。
毒婦より紅を借りたる雪女 美遙
梅匂ふ風にも風の気配あり
冉冉(ぜんぜん)と光をこぼす大桜
囀りて虚子碑に虚子のこころかな
流し目が恋文と化し祭笛
小社に飢饉の史跡蜘蛛の糸
担がれて曲がらぬ足の案山子かな
愛されし日を愛しをり近松忌
近松門左衛門の忌日は、享保九年陰暦十一月二十二日。
茶の咲いてこの家は傾いてゐる
一行を呼ぶ一匹の雪蛍
全世界見渡してをり炬燵から
歌代美遙(うたしろ・びよう) 1947年、青森県生まれ。
★閑話休題・・豊里友行写真集『沖縄にどう向き合うか』・・
豊里友行写真集『沖縄にどう向き合うか』(新日本出版社)、本扉裏の但し書きに「本書では、一般的に一般的にいわれている『集団自決』について強制集団死と記す(一二〇ページ参照)」と記されている。また、「あとがき」に相当する解説の各項目の小タイトルには、「女性や子どもを守れない民族」「沖縄に人々にとっての戦世」「強制集団死の記憶と戦後の人々」「日本と日本人は沖縄にどう向き合うのか」「私の中の戦世」とあり、
私は一九七六年に沖縄で生まれ、沖縄で育った。そして二〇代のはじめから、約二〇年間、沖縄の写真を撮り続けておる。撮っているのは、沖縄戦、そして米軍や自衛隊の基地に関係する人、モノ、場所が多い。そうせずにはいられない、という気持ちがある。
と記されている。
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