2022年10月8日土曜日

安藤喜久女「編機とめ今は枯野を意識する」(『薔薇は薔薇』)・・

 


 安藤喜久女第一句集『薔薇は薔薇』(文學の森)、著者「あとがき」には、


 身も心も弱かった私が九十年も生かされてきた事に感謝します。(中略)

 一志庵田人の長女として生まれて、弟妹六人、嫁して子三人、孫七人、曾孫二人に生きた証として句集を残したいと思いました。

 昭和世代として、戦争があり、阪神淡路大震災で罹災し、家を失い、再建し、火宅の苦しみから大病にかかり生還した等、記憶を蘇らせてみると、いつも大真面目に生きてきました。「ハイさようなら」となる前に、これからは愉快に遊びごころたっぷりに生きてみようと・・・。そこで出来た句を句集の標題にしました。

  定命や娑婆は娑婆つ気薔薇は薔薇


 とあり、「実父の一志庵田人からは十歳より手ほどきを受ける」、ともあった。巻頭の句は、昭和26年の「ミシン踏む指より寒はしのびよる」である。句歴が長く、その間に句風の変遷があるのは当然だが、ともあれ、集中よりいくつかの句を挙げておきたい。


  梨の花淡く恋して闇を行く         喜久女

  バプテスマ受く落葉のくるめく舞ひ

  もみぢ散る雲ちる風の中の思慕

  雲は雪の芯となりゆき昼灯す

  蕗のたう俎上に苦みほどきけり

    六角堂

  臍石(へそいし)や京の真中(まなか)をしぐれけり

  うりずんの天地(あめつち)いのち動きだす

  師を偲ぶ多情多恨の亀鳴きて

  生駒より明けて摂津の初御空

    吾転倒す

  五感まで拉(ひし)がせ哄笑(わら)ふ花嵐

  大津絵の鬼も喰はれし雲母虫

  水葬にいざなはれゆく花筏

  かぎろひの野に魂しばし遊ばせて

  ステイホームいやはや素敵に五月晴

  秋霖やデータ医療は人を診ず 

  初空をフランスさして鸛(こうづる)の舞ふ

  ロックダウンされど雲雀よ揚がれかし

  生きるとは初息吸ひ初声す

  幻と見て立つ嫗花の下

  コロナフレイル何とかせねば梅雨滂沱

  つどへないしやべれないので月を観る

  

 安藤喜久女(あんどう・きくじょ) 昭和7年、大津市生まれ。



    目夢野うのき「母よ萩トンネルの向こうも雨ですか」↑

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