「無限」創刊号(無限俳句会)、その「編集後記」に、
年二回の発行で、五年で十号という小誌であるが、かつての篠原鳳作が「傘火」で目指した「総合俳誌」に少しで近づけるべく、評論は元より、短歌、現代詩を創刊号から掲載出来るのは嬉しい限りである。
とある。前田霧人「歳時記雑話/青水無月」の中に、
「青水無月」は旧暦六月の異称の一つで、歳時記には「樹木が青く繁茂する頃であるからという」などとされる。(中略)古くて新しい季題であるが、用例はさらに平安期までさかのぼり、また、語意も全く異なるものであった。
あかねさすあをみな月の日をいたみ
扇のかぜぬるくも有るかな (中略)
江戸中期の類書(百科事典)『類聚名物考』の「青六月」では、この歌について次のように記している。
茜さすは炎天の夏日をいわんとして枕詞とせり。
暑気さけがたくて扇の風もかいなしとなるべし。
青六月は夏天みどりにして雲もなく陽気さかんなる故かく云えり。
「夏天みどり」とは、梅雨明けの後の碧天、晴絮れわたった青空の意であり、緑陰を髣髴する如何にも涼しげな現在の「青水無月」とは、まさに正反対の感がある。
とあった。ともあれ、以下に一人一句を挙げておこう。
をみなごに花びらユウチュウブ二イクサ 上野乃武彌
我何時か還る虚空や春の星 筒井美代子
ふんはりと春の人らがたつてゐる 花城功子
早朝の風に五パーセントの秋来る 松尾桜子
河馬海馬どちらか酔っているのやら 米岡隆文
花の雨どうせよみせもなにぬねの 稲垣濤吾
はいくとはとわにこのよへさえかえる 前田霧人
渾沌の外の無限へ恋螢 綿原芳美
★閑話休題・・「アトリエグレープフルーツ3人展」(2022.10.2~10.16)・・
昨日は、「アトリエグレープフルーツ3人展」(於:ぎゃらりー由芽のつづき・三鷹駅南口徒歩6分)で、書肆山田・鈴木一民と待ち合わせ、その後、武蔵小金井の愚息のワインダイニングの店「switch」で、コロナ前に行こうと言って果たせなかった約束をやっと果たした。彼とは、大泉史世と書肆山田を引き継ぐ以前からの付き合い、50年以上、同時代を生きたことになる。思えば、少ないながら、愚生の単独句集はすべて彼の慫慂に拠っている。40代の頃から、愚生の次の句集を「オオイズミとオレが生きている間に・・」と言われ続けていたが、愚生の怠惰ゆえに果たせなかった。
吉田廸子↑ 小島顕一↑
井坂奈津子↑
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