「戛戛」第145号(詭激時代社)、この後に、現在では、すでに「戛戛」第146号が発行されていて、各務麗至の小説「ダダン」が掲載されている。また、他にも『いのちの話』(鳥影社)が刊行、その表4帯には、
『季刊文科』誌への掲載作を中心に「いのち」をテーマに著わされた集大成となる作品集。
収録作品「ごくらく橋を渡って」「瀞」「桔梗」「いのちの話(「秋桜」「いのちの話」「橋」「百寿の光」の4作品で構成された作)」
とあり、表紙の帯には、
いのち/たとえば「瀞」。娘と妻を川で喪っている主人公は、偶然にもその川で溺れかけている少年を助けたが、彼は音信の絶えていた姪の子であったと分かる。ーーこの一冊には、人間・いのち・人生の、脈々と流れている不思議なつながりが凝縮され、濃密な味わいをもって集約されている。
文芸評論家 勝又 浩
と記されていた。ところで、「戛戛」第145号の「あとがき」には、
(前略)扨、ー「いのちの話」刊行に至るまでの、それも「ぼおろん」前後の作風だが、旧仮名遣いで、その後亜流や擬きでは飽き足らず、いろいろ工夫を凝らした文体をと長く模索してきた。そして、俳句も一つの挑戦で修行で文章勉強だった。
現代仮名遣いになって、私はその平易なればの難しさに苦闘しながら試行錯誤しながら、日常の何でもないエッセーや日記でも書く作文を思うようになっていた。
若い頃の歴史的仮名遣いの大仰な拘り的創作と違って、日常にそれこそ何でもない中に大事なものがありそうで・・・。と、教えられて、それが書けそうなのは、と、この年になって辿り着いた私なりの作風や文体がこれかも知れなかったが、まだまだ表現に不安や不満はあって現在進行形のここで終るとは思っていない。
「ぼおろん」が一つの勉強の終りで始まりになったように、「いのちの話」もこれからの起点になるだろう気持で新たな進展を思っている。
とあった。 そして、「追記」として、愚生のブログ「大井恒行日日彼是」を見、愚生について触れられていた。
暫らくブログの更新がなくて、と思っていたら、八月二日に発熱、翌三日の抗原検査のコロナ陽性ではじまる慌ただしくも確実に変化する状況、・・・そしてㇵ月十日には、奥様であられる救仁郷由美子長逝。それでも、そこまで延命されたのは八月八日は生甲斐だったとの孫娘の誕生日で、その時食べたケーキがものを口にした最後だったらしい、と何だか私方の父と曾孫の話にも響きあい人の生き死にはこんなにも重なりあうものかと普遍なものすら思ってしまう。同じ頃、私も、義弟を見送りました。しみじみ人の世の無常を思わないではありません。遠くからではございますが、大兄のご健勝と奥様のご冥福を祈っております。
とあった。有難うございます。合掌! ともあれ、本誌本号より、夏礼子の作「花は実に」から、いくつかを挙げておきたい。
春日差抽斗を出る万華鏡 礼子
花は実に姉妹そろつてよく笑う
母の日の暮れて私の日に戻る
今日のこと今日する朝のレモン水
指揮官はこの木のあたりつくつくし
秋蝶に越され思案をふり出しに
縄とびの楕円をまわす光かな
鍋の湯が沸きすぎている憂国忌
各務麗至(かがみ れいじ)1948年、香川県観音寺市生まれ。
目夢野うのき「まゆみの実ぱっかとわれてみなひとり」↑
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