2016年5月12日木曜日
髙柳克弘「日盛や動物園は死を見せず」(『寒林』)・・・
句集名『寒林』(ふらんす堂)は、以下の句からであろう。
標無く標求めず寒林行く 克弘
さらに「あとがき」に於いて、以下のように述志している。
自分は、「ものを書く」ということでしか生きる実感を得られない人間だと自覚した。そして、社会の通念や価値観とは隔たった生き方に、俳人としての道を見出だそうと決意した。特に後半の句には厭世の気分が濃い。それら一句一句を寒林の一樹になぞらえて、句集名とした。
こうした言挙げを読むと、寒林は季語という役目より、むしろ別の何かをまとっていると読める。季語としてなら、例句は意外に近い時代に限定される、という感じがする(いわば新しいのではなかろうか)。髙柳克弘のかつての師・藤田湘子は「死ぬるまで寒林に待つ馬蹄音」と詠んだ。
ものの本によると、寒林には、屍を葬る所、あるいは、屍を棄てて禽獣の食うに任せたところの意もあるようである。単に季語的な厳冬期の枯木立ではない。自らが苦しむのはこの肉体のためだと自らの死骸に鞭打った伝説から「寒林に骸を打つ」ともいうらしい。
『季語別鷹俳句集』には、
寒林のどの木も後姿なし 大森澄夫
はればれと寒林ありし入りがたし 野本 京
寒林の鳥声に胸射られたり 高野途上
などの佳句を含んで例句も多い。
髙柳克弘には前句集でも「ことごとく未踏なりけり冬の星」の句があるように、自らの生き方を、見定めとようとする意志の句が、ときおり貌をのぞかせる。
いくつかの句を以下に・・。
眠られぬこどもの数よ春の星 克弘
名乗らぬもの扉を叩く炎暑かな
涼しさの遊覧船は沖知らず
日盛や動物園は死をみせず
一分と一億年と海の雪
撃たれたる鳥の恍惚山桜
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