2016年5月4日水曜日

敷地あきら「メーデーの膝に抱く子は憲法です」(「俳句人」NO.661)・・・



「俳句人」no.661(新俳句人連盟)の特集は「追悼 敷地あきら」に第44回雑草賞発表。
敷地あきら、1931年東京北区生まれ。15歳で双葉印刷に入社、社内句会で栗林一石路の指導を受ける。2000年より新俳句人連盟会長。2015年12月22日、胃癌のため死去。享年84。句集に『はだしの樹』『風の軸』。
追悼の文を寄せているのは、稲沢潤子、石川貞夫、望月たけし、吉平たもつ、田中千恵子、根元撞音、沢田稲花、渡辺をさむ、野村芳泉。
愚生は、「俳人九条の会」などではお会いしていたが、一昨年10月に行われた古沢太穂全集刊行のお祝いの会が最後となった。

   癒えてベッドに砂金のごとし菓子のくず       あきら
   インク匂う三月ズボン踏んで脱ぐ  
   熱燗や宴(うたげ)なれども手酌癖
   メーデーの膝に抱く子は憲法です
   原爆忌「原発忌」なる尾の生ゆ日
     



別に、あと一人の追悼文を読んだ。池田澄子「追悼 永末恵子」(「ふらんす堂通信」148)である。
永末恵子、1954年広島県生まれ。1988年より句作「白燕」同人。終刊後は無所属。享年62。句集に『発色』『留守』『借景』『ゆらのとを』。追悼文のなかで池田澄子は以下のように記している。そうだったと思う。

  彼女の俳句との交わりの深さと言ったら、俳人の誰とも比較できない清潔で濃いものだった。だから永末恵子のファンは多い。しかし、俳壇に名を馳せるといった俳人ではなかった。其処には彼女の興味も関心も、勿論、意欲もなかった。
 それは本当に彼女が、俳句に自身を賭けていたからだ。俳句はお仕事ではなく、俳句の先生になるのではなく、だから、俳句のために必要な人だった。その人の逝去は勿体ないにも程がある。

   アイスクリームとおからず原子炉は夢    恵子
   開帳や淋しい鳥を通しけり
   大鯰描くに力の抜きどころ
   枯木山よってたかって春となりぬ
   水仙やしーんと人類を悼み
   覚め際の足はるかなり春の雪



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