2018年2月14日水曜日
阿部靑鞋「わが前にくるほかはなき冬日差」(「綱」特別号)・・
「綱」特別号、「阿部青鞋没後30周年顕彰『靑鞋』」(限定300部、発行者・小川義人、発行所・福島經子)の冒頭のページ、永礼宣子「初めの一歩」に、
わが師白石不舎が、生前目標にしていたことに「作州・三俳人の句碑建立」があった。
三俳人というのは、西東三鬼、安東次男、阿部青鞋のことである。(中略)
師から妹尾健太郎編『俳句の魅力 阿部青鞋選集』を見せられた時、仰天して、(青鞋はこんなすごい俳人だったのか)と思った。その作風は誰にも似ていなくて、俳句は摘みたての魂のように新鮮だった。
と述べられている。また、遠山陽子「阿部青鞋と三橋敏雄」には、
敏雄は靑鞋を深く敬慕し、青鞋も敏雄の才能や人間性を愛した。昭和十七年、敏雄が自宅でささやかな結婚式を挙げたとき、青鞋が仲人をつとめた。
秋風や畠にころぶ瓜の縞 羽音
赤蜻蛉風の上とて揃ひをり 雉尾
羽音は青鞋の雉尾は敏雄の当時の雅号である。
とある。他に、青鞋にまつわる実娘や綱俳句会に集う人々のエッセイや一句鑑賞、靑鞋の句選抜集、略年譜、さらには、青鞋が作詞・作曲した唄「海田茶摘み」も掲載されている。エッセイでは多く、青鞋の人となり、生活ぶりなどが語られ、青鞋が多くの人達に愛されて、親しまれていたことが窺える内容である。例えば、小川蝸歩「俳縁奇縁(青鞋さんと不舎先生)」では、
平成七年、第二回「西東三鬼賞」の翌日、「綱」の主宰、白石不舎による企画「阿部青鞋と渡邊白泉の旧跡を訪ねて」と題して岡山県英田郡美作町で講演がなされた。講師は不舎の盟友、三橋敏雄で講演終了後、三橋敏雄、鈴木六林男、佐藤鬼房の選者たちと参加者が津山から仕立てたバスで青鞋ゆかりの同町、海田地区まで足を運んでいる。(中略)
津山は西東三鬼により俳句の街づくりを始めて久しい。私はこの地が阿部青鞋により俳句の街になることを夢見ている。
と抱負を語っている。ともあれ、本書のなかから、阿部青鞋の句をいくつか以下に挙げておこう。
虹自身時間はありと思ひけり 靑鞋
想像がそつくり一つ棄ててある
柚子の木に柚子の実なくて雪がふる
半円をかきおそろしくなりぬ
日本語はうれしいやいろはにほへとち
金魚屋のなかの多くの水を見る
生活をしてをれば咲く八ツ手かな
ゆびずもう親ゆびらしくたゝかえり
必要な虹のかたちを議論する
てんぷらのあがる悲しさ限りなし
おぼろ夜をしばしわたくしして歩く
阿部青鞋(あべ・せいあい)、大正3年11月7日、東京都渋谷区生まれ。平成元年2月5日死去。享年74.
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿