「短歌往来」12月号(ながらみ書房)、特集は「題詠による詩歌句の試み18ー新しい生活様式を詠む」。作家は詩人・歌人・俳人それぞれ5名ずつ。荒川洋治・高橋順子・中上哲夫・八木忠栄・水橋斉、高野公彦・荻原裕幸・草田照子・東直子・大崎安代、池田澄子・片山由美子・仁平勝・大高翔と愚生。いずれも知り合い、というか同時代を生きてきた人が多いので興味ふかく読んだ。だが、印象では、どうしても、只今、現在の状況を詠うには、詩歌句人は、ストーレートにではなく、韜晦気味になるようだ。泡のような日々、現在を詠み、掘り下げて書くのは、それほど困難だという証かも知れない。
それぞれれの作家の持ち味は,それなりにあるのだが、金時鐘のいうような批評を宿す乾いた抒情には乏しい。さすがに、池田澄子の真摯な挑み方、仁平勝のコロナ隠しの俳諧的技法は冴えていた。ともあれ、詩篇は長いので引用できないが、句は一人一句を挙げておきたい。
やっと逢えて近付かないで初時雨 池田澄子
庭を飛ぶもの見ずなりぬ神無月 片山由美子
ときをりは飛沫を乗せて秋の風 仁平 勝
空もまた泪こらへて冬銀河 大高 翔
秋青空ウイズコロナウイズ核 大井恒行
★閑話休題・・永田和宏「彼女ならどんなコロナを詠つたらう河野裕子逝きて十年」(「東京新聞」11月16日夕刊より)・・・
「東京新聞」(2020・11・16、夕刊)の「つぶやく短歌ーコロナの時代に・(10)・永田和宏」のコラムに、
(前略)私の父は大正九年生まれ。妻の河野裕子は昭和二十一年生まれ。どちらも百年前のスペイン風邪も今回のCOVID19も知らずに生き、そして亡くなった。河野が生きていれば、緊急事態宣言下の家籠りの日々ももっと楽しかったのにと思わぬでもない。
こんな災厄はできれば遭わずに済ませたいものだが、遭ったからには、単に生活の負債として嘆くだけではなく、そこから得るものを積極的に考えていきたいものだ。(中略)
その日、馬場さんはややハイテンションで、早速「タブレット端末にふいに現われし永田和宏の髪のもじやもじや」なる歌を発表した。これは返歌しなければ失礼にあたるというもの。あのおしゃべりの(失礼!)馬場さんが、へんに神妙だったよというのが、私の歌。
馬場あき子とZoomで話す世が来たりなんだなんだこの口数の少なさ
とあった。
撮影・鈴木純一「皇帝の憂いはひとつ一つだけ」↑
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