「左庭(さてい)」45号(編集・発行人 山口賀代子)、同人のなかで、俳人は江里昭彦のみである。詩人の方々、それも女性陣のみ。編集後記ふうの「つれづれ」に、
・岬多可子さんが、詩集「あかるい水になるように」(書肆山田)を上梓されました。著者六冊目の詩集です。
夜のみっしりと重い庭—闇の底を、
身をよじりながら這っていくもの。(帯文より)
やわらかいみずいろの 詩集にふさわしい装丁の詩集です。やわらかそうで固い芯を秘めた著者にふさわしい詩の集積。多くの人の読んでもらいたい一冊です。
とあった。書肆山田は、鈴木一民と大泉史世の両氏が詩歌の著書を刊行し続けて、50周年になるのを記念して、東京堂書店が何か企画を立てているらしい(40周年のときもそうだった)。刊行書は1000冊を超えたという。ともあれ、江里昭彦の句を少し挙げておこう。そして、同封されていた抗議声明を以下に紹介しておきたい。
沖に浮くふたつの島に破婚あり 昭彦
ますらおが伐る梅妙な声もらす
歯ありやと問えど答えぬ雛かな
★閑話休題・・・江里昭彦「私は抗議する(声明と意見)-思想統制はやがて俳句にもー」・・・
(前略)まず。「学問の自由」との関係についてーー。
二〇世紀の短歌・俳句・川柳の特長は、批評活動を重視していることである。多くの歌人・俳人・川柳人が、学者・研究者の著書を読み、探り、理論や学説や知見に接しながら、思考と洞察を鍛えている。われわれは、そうして「学問の自由」の成果に接し、恩恵を受けている。
このたび、抗議を表明した学会のなかに、「日本近代文学会」「国際ジェンダー会」「イタリア学会」などが含まれる。これら多彩な学会の活動が、制約を受け、鈍り、萎縮するならば、まず批評活動の萎縮となってあらわれ、やがて短歌・俳句・川柳全体へ否定的影響を及ぼすであろう。
こうして、以下「法治主義の重要性について」と続き、
もちろん、短歌・俳句・川柳の作品の内容をもって罪に問うことはできない。それは戦前においてもできなかった。
しかし、曲解・こじつけ・いいがかりによって、攻撃し中傷することができる。作者の評判をおとし、周囲から孤立させ、社会的不利益を被らせることができる。風刺や皮肉に対して「名誉棄損で訴えるぞ」と脅すことができる。(中略)
「学問の自由」を擁護する課題と、政権に法治主義を守らせる課題はセットで追求する必要がある。日本学術会議をめぐる緊急事態は、われわれにそれを強く訴えている。
2020年11月1日
とあった。
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