1986年5月14日↑
十四日、「“志摩聰“消滅」の便りに感慨。「騎」への活動続けると言へど、栄光の名、口惜しき事、返書。
殺すことは生きることでもある。あるひは、名を捨てるといふ観念に拘り過ぎる自分に腹立たしい。志摩に会ひたし。
外典や恭々しきは桐の花 阿部鬼九男
*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・
5月14日(金)・・・晴・夏日
志摩聰(しま・そう)こと原聡一(1928・2・22~2003・1・24)。途中、俳名を本名(原聡一)に改めた。初発を加藤かけい「環礁」にて阿部鬼九男と同門。代表句に〈葦焚けば神が窒息したまえり〉〈黄海軟風/黄帆走魚/黄葡萄酒〉がある。
下天はや外典(がいてん)のうち炎帝に 大井恒行
撮影・中西ひろ美「渇いたら出会つてしまふ事がある」↑
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