岸本久美子『源氏物語 花筐(はながたみ)ー紫式部の歳時記を編む』(幻冬舎)、著者「前書き」の「現在(いま)物語としての源氏物語」の冒頭に、
若いころ、源氏物語の世界は遠いところにありました。登場人物は自分とは縁のない、いかにも古めかしい世界の人でした。高校三年生の時、古典の教科書に出ていた原文も、受験勉強のよすがに買った与謝野晶子訳の源氏物語も、大学での若菜の上巻の購読も、全然面白くない。しかもよくわからない。退屈した――。
とある。それでも、一度辞めた教職に、30歳で再びつき、源氏物語を教えるために読み直すと、これが「何とも面白」かったという。そして、京都に住んでいた著者は、源氏物語に描かれた四季折々の眼前にある風物を、
源氏物語の原文にも触れながら写真とともに紹介するブログは、二〇一七年の開設から約三年を経て百回を超えました。この本は、その中から五十八編を選んで編集しなおしたものです。
と記している。また、「後書に代えて—紫式部の耳」には、
源氏物語では、登場人物の心情はその感覚に訴える景物として響き合うように描かれています。叙景がとりもなおさず叙情として機能しているのです。
音は写真にはなりません。従って本文には載せなかったので、このページを借りてすこし紹介してみたいと思います。(中略)
もう一か所、夕霧が、思慕する落葉の宮を口説こうとしている場面。
風いと心細う、ふけゆく夜のけしき、虫の音も、鹿の鳴く音も滝の音も、ひとつに乱れて艶なるほどなれば、ただありのあはつけ人だに寝覚しぬべき空のけしきを、格子もさながら、入りかたの月の山の端近きほど、とどめがたうものあはれなり。 (夕霧の巻)
こちらは、恋物語の内の優なる男を演じようとする夕霧の心そのままに、世界が何から何まで艶なる世界に変じています。滝の音も聞く人の心情によって聞こえ方が変わるのです。(以下略)
従って、本著には紫式部が約千年前にふれた世界を、現在の京都に探しだしながら、写真を撮り、源氏物語を語りながら、収載している。副題には、「歳時記を編む」とあるとおり、春夏秋冬に纏められている(俳句的だ・・)。暦の上では、立夏も過ぎた頃合い、ブログタイトルにした部分は、二十四節気の小暑「蓮始華」の「24 蓮の花咲く頃」の文中からの紹介である。
門外漢の愚生が源氏物語などを紹介するのは、何故か、といぶかしがる向きもあるだろうが、著者・岸本久美子の旧姓が「赤間」であるということを、さらに高校の同窓生であることを教えてくれた、古希を閲したとはいえ、世が世ならのお姫さまがいらっしゃるのである。そのお姫さまは、数十年前より「ば~ら通信」なるものを月一度のペースで配達して下さっている。お陰で、同窓生の動向がそれなりに理解できているのである。それにしても、今も昔も女性軍が優秀なのは、わが母校の伝統らしい。
岸本久美子(きしもと・くみこ)山口県山口市生まれ。ブログ「岸本久美子の風信帖」。
日本朗読検定協会 朗読インストラクター。
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