1986年5月1日↑
一日、メーデー、渋谷から新宿へ。気勢あがらず、疲れるのみ。“血のメーデー“ありしをひとり思ふ。
“吊し“の派生。橋桁の無い橋が懸けられるかと言ふ古き答案あれど、別解を案じてたのしむ。
天理に叶ふ彼方へ隊商のこぼれ 阿部鬼九男
*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・
5月1日(土)・・・晴
渋谷から新宿コースのデモにでもでも参加したのであろうか。血のメーデー事件は、1952年5月1日、第23回中央メーデーにおいて、『再軍備反対」「皇居前広場を人民広場として開放せよ」と決議したデモ隊と警察が衝突し、近藤巨士(こんどう・ひろし/法政大学生)が頭蓋骨骨折の後遺症で5月6日に亡くなり、戦後初めての学生運動の犠牲者となった。鬼九男は1930年生まれで、犠牲者と同年齢(22歳)である。だから「ひとり思ふ」のだったろう。 愚生で言えば,愚生と同齢で、佐藤訪米阻止羽田闘争による犠牲者だった山崎博昭(1948年~1967年10・8,18歳)に相当する。
句の「天理に叶ふ」は「天理人欲」のことだろうか。
晩春の隊商 人欲を充たさざる 大井恒行
撮影・芽夢野うのき「アップで撮らないでって言う葉が赤くなる」↑
0 件のコメント:
コメントを投稿