2021年5月31日月曜日

阿部鬼九男「自己同一性へ速水を錯覚せよ」(『黄山房日乗』五月三十一日)・・・

 


                1986年5月31日↑


一九八六年六月十六日、花火の夜に↑
(あとがき)


                   奥付け↑
        1986年8月25日 端渓社刊 頒価3000円 120部限定
  

三十一日、「環礁」へ〈春光賞〉選評。サッカーW杯予選始まる。アルゼンチン優勝に賭ける人なきや。

稿了。旅立ちへ。榎本武揚の”函館“には北前船泊し居り、蠣崎波響の何点かの「夷酋列像」

観られるかも知れず。


      自己同一性へ速水を錯覚せよ    阿部鬼九男


*『黄山房日乗』へ35年後の剽窃譚・・・


        5月31日(月)・・・晴


 前日の「六月の旅の地名採取」とは、函館のことだったようだ。 蠣崎波響(かきざき・はきょう、1964・6・25~1826・7・26)は江戸時代後期の画家にして松前藩家老。函館中央図書館に、アイヌを描いた連作肖像画「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」があり、訪ねるつもりらしい。「一九八六年六月十六日、花火の夜に」の中、「あとがき三」として、「日常の雑記は非日常への入口探しかと問ふ人がゐた。そんなに巧く日常が屹立してくれはしない。/寸断された日常は世のカタログ文化を写すばかり。こんなところへ陥ち込みを誘ふのも自虐的快感であらう」と記している。

 愚生は、この二ヶ月間の『黄山房日乗』の六十一句のみならず、日乗に記された様々の非日常への入口に、幾度となくとまどった。ご自宅での語らいに幾度となく接したが、愚生には、彼のインテリジェンスがついに身に付くことはなかったようだ。その語らいの場には、阿部鬼九男の手料理をふるまわれながら、酒巻英一郎と救仁郷由美子の同席があった。アルコールにめっきり弱い愚生がまず居眠り、愚生が目覚めると、今度は、したたかに呑んだ酒巻英一郎が居眠り、その間を、救仁郷由美子と阿部鬼九男が間をつないでいた。生前最後に、お会いしたのは、全く連絡の途絶えてしまったある時期、あまりの心配に、三人で、アポなく強引に訪問した。その時、近くにお住まいだった阿部鬼九男(善久夫)の教え子の方が、面倒を見ておられ、実弟の阿部幸夫に連絡をされていた時だった。翌日、入院され、いわば、これが、永の別れとなった。たぶん亡くなられた2015年12月19日から、逆に推測すると、愚生らの急襲は12月初めだったように思われる。あれから、すでに5年半以上が経っている。

 本日が『黄山房日乗』最終日、「35年後の剽窃譚」も最終回である。故阿部鬼九男、そして、2ヶ月間、少なからず、本ブログを読んで下さった方々、有難うございました。内容はともかく、何とか完走することができてホッとしています。


      回生のすべなく夏の光陰や    大井恒行



     撮影・芽夢野うのき「馥郁と紫陽花の藍かしぎけり」↑

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