「東京新聞」夕刊4月10日・「土井礼一郎の短歌の小窓」↑
平井弘第4歌集『遺(や)らず』(短歌研究社)、門外漢の愚生には、随分と長い間、目にしていなかった歌人である。だが、愚生の若き20歳代後半に、歌集『前線』(国文社)に出会って以来、その作者の名とともに忘れることはなかった。今、現代歌人文庫『平井弘歌集』(国文社)を開くと、やはり、
奪われるままに両掌をひろげおり野の虹の下遁れられなく 弘
男の子なるやさしさは紛れなくかしてごらんぼくがやさしく殺してあげる
膝ひらいて搬ばれながらどのような恥しくなき倒されかたが
空に征きし兄たちの群わけり雲わけり葡萄のたね吐くむこう
などの短歌が、新鮮に甦る。そして、いま、愚生の眼前の本歌集は、表記が歴史的仮名遣いに変わり、かつ平仮名の多用によるばかりではない、読みがなかなか進んでいかない(まぎれなく平井弘の文体なのだろう)。挟まれた栞に、斉藤斎藤は以下のように記している。
(前略)『遣らず』で描かれるのは、私という主体が確立するその手前の出来事であり、主体がほどけてゆくその先の出来事である。そのような出来事は、主体の位置を明確にする短歌の言語では捕まらない。だから『遣らず』の口語は、時に幼稚園児のようであり、時にひいじいさんのようでもある。その世界では、あげる側ともらう側が、死にゆく側と生きのこる側が、くりかえしなかよく入れ替わる。「誰が」のわからない言葉が、いつまでもこだましつづけている。
栞のもう一つは著者自身の「『遣らず』ト書控え」である。中に、
国会の安倍首相、艤装を終えた自衛艦空母
狼なんかあなたきませんつぎのもそのつぎのもうそつき
笹舟にささの葉のせてなんとせうなんとせういえこれは笹舟
とある。また、著者「あとがき」には、
(前略)なお、表題とした『遣らず』は加藤道夫の戯曲「なよたけ」によったものである。「なよたけ」は戦地に赴く加藤が遺した青春の遺書、ながくわたしの心にあった。〈なよたけ〉とは権力によって奪われる希望や愛、青春といったものの喩である。なよたけは天へ召されるのだ。「だれか青春の作家は現代の『なよたけ』を書け」といった劇作家矢代静一に応えたわたしの「なよたけ」である。
ともあった。ともあれ、集中よりいくつかの歌を以下に挙げたい。
いつのことだか思ひ出してごらんだからあんなことなかつたでせう
眼圧をはかりますねまだ美しいものをみなければなりません
川からあがつてきた人に聞いたところでは生きたいものは沈む
すきなのはどちらなのつて急かされてもとにかくこの木蓮はしろ
このさき石をなげることがあるだらうかたまたま落ちてゐたとして
水たまりがいまを映してゐないことをいつておくべきだつたかなあ
難聴なもんできこえてきますのんやろなけふもとほくでらつぱの音(ね)
この道しかないのならばともかくいつたきりの人だつてゐるから
声に出さなくてもいい同意はただあづけてくれるだけでよろしい
キハメテケンカウとつたへる平熱をこのさいですほめてください
それはもう手なんか振られてをりましたそんななかを還れるもんか
平井弘(ひらい・ひろし) 1936年、岐阜市生まれ。
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