「現代俳句」8月号(現代俳句協会)、巻頭エッセイ「直線曲線」は守谷茂泰「心が心呼ぶような」で、ほぼ谷佳紀遺句集『ひらひら』に触れながらの、心に沁みる谷佳紀論になっている。その他、第36回詩歌文学館賞の宮坂静生『草魂』よりの50句抄出と「句集『草魂』に寄せて」の中村和弘。第72回読売文学賞・第2回俳句四季大賞の池田澄子句集『此処』46句抄と「池田澄子は何処」の筑紫磐井。だが、もっとも濃かったのは、特集とでも呼ぶべき「現代俳句と海外俳句事情」の木村聡雄「外国語俳句ーふたつの俳句形式を探る」とリー・リーガ「伝統俳句、そしてその先へ」(木村聡雄訳)、木内徹「アメリカ俳句事情」、今田述「俳句から漢俳/四〇年の足跡を辿る」であろう。とりわけ、木村聡雄は「日本俳句と世界の俳句二種」と小題を付して、
《世界の俳句形式》
(一)日本語俳句/(二)欧米影響圏俳句/(三)漢字文化圏俳句
単純化しすぎるとの意見もあるかもしれないが、実際にはこの三種類で世界のほとんどの俳句形式を網羅できるのではないかと思われるのである。
と、分類してみせている。改めて、ここでは、「豈」同人でもある池田澄子について筑紫磐井が語っている部分を引用しておきたい。
(前略)すでに、〈忘れちゃえ赤紙神風草むす屍〉などにより、三橋の戦争批判の影響を引き継ぎつつ、こうした批判精神は八十歳を過ぎてもますます旺盛だ。
しかし、この句集に特徴的なのは、三橋敏雄や夫をはじめとした多くの人の死を迎え、自身も死を考えねばならない終末の風景である。
春寒の夜更け亡師と目が合いぬ
敏雄忌の鈴に玉あり鳴らしけり
未亡人にスミレすずらんそして雨 (中略)
深刻だというわけではないが、以前のあの華やかな池田澄子と異なり、こうしたテーマが増えている。にもかかわらず、リズムには踊るような響きがある。生得の言語感覚というものであろう。
と述べている。とのあれ、本誌中より、いくつかの句を挙げておこう。
東京の蟬の爆死と歩むなり 川名つぎお
月光の全量を浴び帰郷せり 石倉夏生
八月や空へ返りて水谺 山田貴世
山あひに神の道あり草紅葉 稲葉明日香
紅葉や心が心呼ぶような 谷 佳紀
白梅や夢をかたるは苦しきとき 宮坂静生
こころ此処に在りて涼しや此処は何処 池田澄子
形代を指もて水へ押しくぼめ 小林貴子
結跏して色なき風となりにけり 五島高資
再開のマフラー一直線に来る 杉本青三郎
いろは歌のなかは落葉の音がする 坂間恒子
筍の並んでをりぬ鉄亜鈴 山﨑十生
芽夢野うのき「鬼百合か蘭鋳かうつつを浮けば」↑
池田澄子さんの句は「八月や」ではないでしょうか?
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