おおしろ房句集『霊力(セジ)の微粒子』(コールサック社)、巻末に、のざらし延男「おおしろ房作品鑑賞」、鈴木比佐雄解説「沖縄の『孵(す)でる精神』を引き継ぐ独創的な試みーおおしろ房句集『霊力(セジ)の微粒子』に寄せて」がある。著者「あとがき」の中に、
本句集は、四十代後半から退職までの約二十年間の作品が収めてある。奇しくも私の教員生活の前半と後半に分かれる。後半も日常句が多い。(中略)さらに、私が住んでいる沖縄を詠んだ。私が生まれた時から沖縄は、アメリカの統治下にあり、日本復帰してもその現状はさして変わらない。コザの街で育った私にとっては、基地は当たり前の風景だった。俳句を作ることで、アイデンティティーについて考えるようになった。
と記されている。句集名に因む句は、
東御廻り(アガリウマーイ)俳句紀行
降り注ぐ霊力(セジ)の微粒子東御廻り(アガリウマーイ)
の句であろう。のざらし延男の鑑賞によると、
「東御廻り(アガリウマーイ)」とは知念・玉城(沖縄本島南部)の聖地を巡拝する神拝の行事。首里城を中心にして、大里・佐敷・知念・玉城の各間切(マギリ)を東方(アガリカタ)といい、このルートの拝所巡りを「東廻り(アガリマーイ)」と称した。
という。もう一つの句の例を挙げると、
十・十忌幾万の霊と綱を挽く
「十・十忌」とは「一〇・一〇空襲の」の日のこと。一九四四年十月十日、米軍による南西諸島への無差別大空襲があった。とりわけ那覇市は集中攻撃を受け、市の九〇パーセントが灰燼に帰した。一九七一年十月十日に「那覇大綱挽」が実施され、今は「那覇まつり」の一大イベントとしてギネスブック級の大綱を挽く。
戦死者の鎮魂と平和を祈念し、「幾万の霊と綱を挽く」のは十・十忌ならではの綱挽である。沖縄の心根を表現した句。(二〇〇九年一月)
と記されている。鈴木比佐雄の解説の冒頭には、
おおしろ房氏が第一句集『恐竜の歩幅』に次ぐ第二句集『霊力(セジ)の微粒子』を刊行した。この二十年間の作品から俳人で夫のおおしろ建氏とも相談し選句したという三八二句が収録されている。二人は野ざらし延男氏が主宰する「天荒俳句会」の創刊同人であり、おおしろ建氏は同人誌「天荒」の編集や事務局を長年務めている。
ともあった。ともあれ、集中より、いくつかの句を挙げておこう。
二月風廻り(ニンガチカジマ∸イ)クジラの尾から巻き起こる
島中が罠かけて待つ魂迎え(ウンケー)
木の魂・水の魂転がして鳴く赤翡翠(アカショウビン)
原発の臍の緒つけた初日の出
生きるとは瓦礫増やすこと鳥帰る
核の世に連れていかれる山羊の群
春一番人工骨も動き出す
大津波陸に墓標を立てて去る
沖縄忌影持たぬ人とすれ違う
余生とは噴水の上に乗っている
殺意ならひまわり畑が震源地
おおしろ房(おおしろ・ふさ) 1955年、沖縄市生まれ。
芽夢野うのき「夕芙蓉そのいろ愛でる日がへりぬ」↑
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