「多摩のあけぼの」NO.139(東京都多摩地区現代俳句協会)、巻頭のエッセイは遠山陽子「豊玉(ほうぎょく)発句集ー土方歳三の俳句」。その中に、
歳三は天保六(一八三五)年、十人兄弟の末っ子としてうまれた。歳三は乳児して両親に先立たれ、姉に育てられる。祖父は三月亭石巴と号し、文化文政のころ、日野宿一帯では大いに知られた俳人で、松原庵星布尼などとも親交があったという。また長兄の為次郎は閑山亭為翠と号し、盲目ではあったが豪胆な性格そのままの豪快な句を作った。その影響か、歳三も多摩時代は俳句をたしなみ、句会などにも顔を出していた。
春寒や撫てさひしきほんのくほ 石巴
かそへても詮なきかりの別れ哉 為翠
姉ノブが日野宿名主佐藤彦五郎に嫁ぐと、歳三は佐藤家によく出入りし、彦五郎にも非常に愛された。この彦五郎も春日庵盛車の号を持つ俳人であった。(中略)
彼の俳句について、司馬遼太郎は『燃えよ剣』のなかで、沖田総司の口を借り、「ひどいものだ。月並みだ」と言わせているが、このころの俳句は皆月並みだったのである。
さしむかふ心は清き水かかみ
巻頭の句。この句のみ一ページ分用いてある。水鏡に映る自分の顔を見つめていると、心が澄みわたるようだ、という句意である。亰に行く前のピンと張り詰めた緊張感が感じられる。(中略)
函館を脱した市村鉄之助が小島家にもたらした歳三戦死の報の中に、辞世の和歌があった。
よしや身は蝦夷が島根に朽ちるとも魂は東の君や守らむ (中略)
実は歳三の遺体の埋葬地は長年不明のままであった。近年、加藤福太郎という人が詳細に調べた結果、函館近郊の七飯村の篤志家が密かに土葬にしていたものを、明治十二年に改めて火葬に付し、遺骨は旧幕府軍戦没者の慰霊碑として函館に建立された碧血碑に収められた、ということが分かった。多摩では、明治十二年、高幡山金剛寺境内に、ゆかりの人たちの手で、近藤勇と土方歳三を顕彰する「殉節両雄の碑」が建碑された。
日野の土方家の墓に、実は歳三の遺骨はないのである。
ちなみに土方歳三の句を以下にいくつか孫引きしておこう。
しれㇵ迷いしなけれㇵ迷ㇵぬ恋の道 歳三
朧ともいわて春立としのうち
三日月の水の底照る春の雨
横に行く足跡ㇵなし朝の雪
ムサシノやつよう出て来る花見酒
せっかくだから、「あけぼの集」から、知人幾人かの句を挙げておきたい。
潔く骨を晒す日百日紅 赤野四羽
声出せる喜びにあり百千鳥 安西 篤
鰻裂く礼を尽くせるところまで 伊東 類
げんこつの握手にも慣れ夏ふかし 岡本久一
鯉のぼりときめきに似て息を抜く 金谷サダ子
天国で百歳祝ふ母の日よ 笹木 弘
マラソンが途切れて孕み猫が来る 沢田改司
うりずんや過去はかけらにシーグラス 芹沢愛子
桃と桃かすかに触れてゐてこはい 遠山陽子
いつも迷う夢の終りの葱畑 髙野公一
夏野にはただの女として映る 永井 潮
作りすぎたる句のごとく紫木蓮 西村智治
手から手へ渡す銀河のだまし舟 前田 弘
八月とは黙って父が拾う石 宮崎斗士
夏めくや化粧に汗の玉ひとつ 武藤 幹
方角を見失ってる蝌蚪の群 望月哲士
上を向く泰山木の白い声 山崎せつ子
ジャズを聞くががんぼ窓に遊ばせて 好井由江
騙し絵の裏も騙し絵聖五月 依田しず子
天に笛地にあふれたる嘆きかな 大井恒行
★閑話休題・・・第39回東京多摩地区現代俳句協会俳句大会 作品募集・・・
●募集要項 雑詠2句 2句一組につき1000円 (何組でも可、ただし未発表作)
●締切 令和3年9月10日(土)必着
●送付先 181-0015 三鷹市大沢2-10-7 大森淳夫方 俳句大会投句係
電話 090-9389-4821
●俳句大会日時 令和3年11月6日(土)午後2時~5時
●記念講演 今野寿美 演題「近くて違う俳句と短歌」
●会場 武蔵野スイングホール11F JR武蔵境駅北口徒歩2分
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