2021年8月7日土曜日

大河原真青「町灼けてぐにやぐにやの影連れ歩く」(『無音の火』)・・・

            

 

 大河原真青句集『無音の火』(現代俳句協会)、序は、高野ムツオ「まなざしの先ー序に代えて」、帯文は森川光郎、その惹句に、


   野鯉走る青水無月の底を搏ち

 「野鯉走る」の読後以後、/己の範疇を出てゆく句群に/この句の野鯉の姿がうつって/

  やまなかった。/野鯉が走る降雨のあとの/青野に充満する水の香が/無類にして/

  無頼なのである。


 とある。また、序の中には、


 このたび句稿を読んで気づいたことの一つに、このスクラム同様(愚生注*ラグビー選手だった大河原真青の句「湯気立てて泥のスクラム崩れけり」)、変化流動そのものうちに事象の姿を捉えようとするところに真青俳句の独自性が存在することだ。

  寒星や日ごと崩るる火口壁

  根の国の底を奔れる雪解水

  七種や膨らみやまぬ銀河系

 これら自然の諸相をとらえるまなざしがそうである。休むことのない火山の悠久の営みに呼応する寒星のまたたき。永劫の時が止まったままの死者の国、その深みに蘇り溢れ出す雪解水。(以下略) 


 と記されていた。そして、著者「あとがき」は、


 (前略)しばらくして、俳句雑誌に「フクシマ忌」の文字が散見されるようになり、言いようのない違和感を覚えた。その時、福島の震災句は福島の俳人が詠まなければならない、と強く思った。それが福島の俳人の責務だと思った。

 私は二人の師にこう教わった。

「俳句は颯爽としていなければならない」  森川光郎「桔槹」代表

「俳句は孤絶の営みだ」「抽象に走るな」  高野ムツオ「小熊座」主宰

私はこの言葉を指標として、これからも母郷福島を詠み続けて行きたい。


 と記している。集名に因む句は、


   凍餅や第三の火の無音なる     真青


 であろうか。ともあれ、集中より、以下にいくつかの句を挙げておきたい。


   褶曲の疼きをかくし山笑ふ

   空蟬をあふれてけふの波の音

     沖縄

   三線に夕日におばあのあつぱつぱ

   艦砲にあらず摩文仁の日雷

   螢の夜おのが未来に泣く赤子

   砂紋またかたちを変へる慰霊の日

     悼 武川一夫

   帽深く冬の星河を越えたるか

   ジオラマに残りし校舎鳥雲に

   国捨つる覚悟はあらず夏の霧

   冬銀河竜骨のなきノアの舟

   冬ざるる河口の供花も靴音も

   風に向く枯蟷螂もわが叛旗

   わが町は人住めぬ町椋鳥うねる

  

  大河原真青(おおかわら・まさお) 1950年、福島県郡山市生まれ。

  


        撮影・鈴木純一「長崎や差出人の名はなくて」↑

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