加藤哲也『概説 筑紫磐井・仁平勝』(実業公論社)、「はじめに」で、
本書は、拙著『概説 中原道夫』。『概説 今井杏太郎』に続く、概説シリーズである。なぜ、いま、筑紫磐井(つくしばんせい)と仁平勝(にひらまさる)かということだ。(中略)現俳壇において、俳句の実作と理論の両面からそれらを追求している俳人たちの代表格が、この二人の俳人であり、評論家であると思うのである。(中略)
その意味で、この二人を取り上げた次第である。実際、そういう意味もあって、普通の俳句の論説では珍しいのであるが、今回は、二人の俳句の解説だけでなく、評論についても多少の論説を加えたものである。
と記されている。筑紫磐井、仁平勝とも愚生にとっては、少なからぬ縁があるので、よくここまで、加藤哲也の興味の赴くままに、書物として立て続けに刊行している、その力量に敬意を表しておきたい。もっとも『概説 今井杏太郎」にしたところで、内容は、仁平勝がいかにすぐれた、俳句の読み手、論者であるかということを縷々に述べ立てていたのだから、本書に至るのは、当然の成り行きかも知れない(仁平論については、これは筑紫の説を慧眼として多く抽いている)。
未知の読者のとっては、両者の句集刊行順にそって、あるいは、それぞれの著作に沿って解説されているので手頃なのである。ただ、前者・筑紫磐井について、惜しいと思ったことは、彼の最初の原点ともいうべき『定型詩学の原理』(ふらんす堂)への論及がなかったことである。興味ある読者は、直接本書に当たっていただくとして、部分だが、本書から、ほんのわずかだが、引用しておこう。まずは筑紫磐井の第三句集『花鳥諷詠』の宣言、
宣言
定型といふことを極限まで考へたすゑ、定型は決して五七五にある訳ではなし、汝(な)が心中(しんちう)にあり、と考へつくにゐたりました。(中略)近頃の若い人たちは、花鳥諷詠といへば、ただもつぱら社会を離れた風流ごとと考へてをられるやうですが、これも、花鳥は心外にのみあるものではなし、目前の風流は即ち地獄にほかなりません。(中略)諸君がくれぐれも花鳥諷詠の末流に惑はされぬやう、直(ひた)にこの道を進まれんことを祈ります。
次は、仁平勝の尾崎放哉『大空』について述べた件、
大事なことだが、最初に五七五という定型の観念がなければ、「自由律」という俳句のモチーフは出てこない。五七五が前提にあるから、その定型を否定することが「自由律」として意識される。(後略)
このあと、仁平は、「自由律」とは定型にとらわれないことではなく、意識的に拒否することで成立しているという。だから、そういう意識のもとに句を作っている以上、俳句に違いないという。その点については、おそらく間違いのないところだろう。私は、この考え方には賛同する。
と記されている。ともあれ、以下には、筑紫磐井と仁平勝の句を、本書より、いくつか挙げておきたい。
若き妻を野干(きつね)と知らでさくら狩 磐井
いかづちも転(まろ)びてあそべ三輪・畝火
江戸は春でんろく豆にとらやあやあ
けいせいや薄のおもさ・身のかるさ
もりソバのおつゆが足りぬ高濱家
俳諧はほとんど言葉すこし虚子
阿部定にしぐれ花やぐ昭和かな
南国の鳥よりおしやれ主宰夫人
老人は青年の敵 強き敵
俳諧の婆娑羅の道を歩むなり
皇(す)べる手
戒厳令下菫異常なし 正午(まひる) 勝
再会の友よ花野に綱引かむ
片足の皇軍ありし春の辻
負け知らずメンコの東千代之介
手がつきて泣きのねえやは鏡里(かがみさと)
山眠るいたるところに忍び釘
女房(にょうぼう)は鶴(つる)
糸見(いとみ)せぬ身八口(みやつぐち)
靖国の暑いの暑くないのつて
攝津幸彦逝く
秋天に白球を追ひ還らざる
お待たせといひて日傘をたたみたる
寒ければ着てなほ寒ければ寝るか
加藤哲也(かとう・てつや) 1958年、愛知県岡崎市生まれ。
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